未題・3



ぴんぽん。

いやに軽いチャイムの音が鳴り響き、綱吉は顔を上げた。
ぬるい風が吹き込む室内へ割り込んできたその音は涼やかで、ぼぅっと呆けた思考をほんの少しばかり正常にさせた。

「先生、お客様ですよ」

綱吉は机に向かって何の反応も返さない骸にそう告げた。
乾いた紙の上を滑る黒檀の音を縫って、彼は簡潔に言葉を返す。

「お願いします」

は、ぁ。
小さく区切った溜息を吐き出し、綱吉はゆっくりと立ち上がった。
創作活動に勤しむ作家・六道骸は驚異的な集中力でもって原稿用紙を埋めていく。
今のところは順調、締め切りまではまだまだ時間があるというのに、何故自分がここにいるのか。
なぜいなければならないのか、そんな疑問を幾度となく反芻してきた綱吉だったが、今となってはそれも昔の話だ。
長い、とも言い切れないが、短いわけでは決してない骸との付き合いの中で、綱吉は、そう。
いろいろと、あきらめてしまったのだ。

勝手知ったる他人の家、場合によっては掃除洗濯料理諸々を担う家政夫と化す担当者に、骸もたいがい遠慮がない。

(まぁ、どうせ新聞屋かなんかだろ)

玄関のロックを外している間にもう一度チャイムが鳴った。

「はいはい」

ガラガラ、古風な硝子戸をスライドさせると、むわっとした夏草の匂いが広がった。

「え?」

新聞なら間に合ってます、そう言う筈だった綱吉の唇は、単純な疑問系の母音に変換された。

「あっ」

大して、客のほうもその反応に似通った、意味の無い小さな言葉を紡いだ。

綱吉の予想に反して、客は新聞屋などの類ではなかった。
彼の目からでなくても、その客はせいぜい中学生か高校生くらいの、少女であった。
深い緑色の制服は彼女にとてもよく似合っていて、まぁそれくらいまでならば”どこにでもいる”程度の女子高生だった。
いや、丈の短いスカートからすらりと伸びる小鹿のようにしなやかな脚や、化粧を全く施さずとも目鼻立ちのはっきりした、整った顔立ちの、彼女は、文句のつけようのない美少女であったのだけれども。
片目には、日常生活ではあまり見かけることの無い黒の眼帯が装着されていた。
病気を患っているのだろうか、とそんな当たり前のことをゆったりと脳が思考する。

「君、せ…六道君、の友達?」

先生、といいかけて訂正する。
言いづらい呼称になんだか変な気分になる、綱吉は頬を掻きながら苦笑した。

「…、…ま」

「え、何?」

蚊の鳴くようなか細い声だった。
反射的に聞きなおして、綱吉は首をかしげた。

「むくろ、さま…」

少女はそう呟いて、手にしていた学生鞄を取り落とした。
綱吉がそれに気を取られた一瞬の後、少女は駆け出していた。
おそらく元来ただろう道を、脱兎のごとく。



「………いやいやいや、ワケ分かんないんですけど」



右手をはたはたと振って、綱吉はがくりと肩を落とした。

「どうかしましたか?」

背後から骸の声が聞こえ、振り向いた綱吉はまた溜息を一つ。


「知らん」


とりあえず、六道骸は普通ではないので、別にこの程度気にすることも無いのだろう。
だから、とりあえず、とりあえず、無視しておこう。
頭の回転力などないに等しいのだから、余計なことを考えるだけ無駄だ。
要約しての、知らん、だったのだが、骸はどう受け取ったのかは分からない。

ただ、そうですか、としか返してこなかった彼はそそくさと仕事へ戻っていった。