生まれぬ言の葉にくちびるよせて





落ちた影を怪訝に思って顔を上げると、頬に唇がよせられた。

不意打ちじみたその行為が親愛によるものなのか、それ以外のものなのかはいまいち判断がつかない。
異郷を強く感じさせる香の匂いが自分に移るほどに側にいるのに、セイロンは何も言わない。
仕事終わりの、寝る前に。
もう今更驚くほうがおかしい、というほどに日常化してしまった行為に対して、私は何の疑問も投げかけなかった。
セイロンも、特別なことは何も言わない。
いつも決まって、ただ一言だけ。


「おやすみ、フェア」


武術家なのに、それでもやっぱり幼いころから家事をし続けている私の手よりもセイロンの手のほうが綺麗だ。
頭の上にそっと乗せられた手を見て、そう思う。
最近こそ召喚術を使うようになったけれど、それまでは我流なりに剣を扱っていたので、やっぱり私の手はお世辞にも綺麗だとはいえない。
ああ、きれいだな。いいな。

セイロンの手、すきだなぁ。


「うん、おやすみ。セイロン」


そんなことばかり考えていたので、私はついその後何も反応できなかった。
香が、いっそう強く香る。
音もない、ただ、ふれるだけ。
唇に触れられて、そう、どんな反応を返せばよかったのだろうか。

おやすみを伝えたままの格好で止まっている私を放って、当の本人はさっさと部屋に行ってしまった。
階段を上る音は静かだったけれど、妙に私の耳に残る。


「………なに、あれ」


たっぷり3分ほどだろうか、そのままでいて。
かおがあつかったので、ひやそうと。
立ち上がったときだった。(よろけて転びかけたなんてカッコ悪くていえない)


「マ、ママぁ…」

「ミルリー、フ…?」


泣きそうな顔のミルリーフに、私もまた泣きそうになる。
もうとっくに寝ているはずのミルリーフは、お手製のピンク色のパジャマというスタイルで、手には枕を抱えて立っていた。
だって、その場所はセイロンだって通り過ぎたはずなのに、ミルリーフはそこにいた。
ああいつからいたのだろうか、起きちゃったんだね、まさかそんなだって、そんなはず。
ぐるりぐるりと渦を巻く、なぜかコーヒーにたらされたミルクを思い出して私はなんとか叫びだしたい衝動をこらえた。


「だ、だめぇー!」


が、代わりにミルリーフが叫んだ。
どん!腹部に感じる鈍痛はもはや慣れっこだった、でも痛い。


「赤ちゃんできちゃう!やだやだやだ、ママの子供はミルリーフだけでいいのぉ!」


ぐりぐりぐりぐり、いやいやと頭を振るミルリーフは、かわいい。
とっても、かわいい。
でも言ってることが耳に残ったまま、理解できない。


「こないだ、グラッドさんが言ってたもん!ちゅうすると赤ちゃんできるって、ゆったもん!」

「ちゅう、って…」


そうなんだろうか、やっぱアレはそうなんだろうか。


「ぅわあああん、やだやだやだやだ!妹とか、弟だって欲しいけど、でも、でも、まだミルリーフだけのママがいいの!」


ミルリーフの声が、ぐわんぐわんして。


「ママ、……ママぁっ!!」


私は、倒れた。


だってだってだってだって、私はずっと逃げていた。
何も言わないから、何も言われないから。
”そういうの”じゃないって、思い込もうとしてた。
でも、違った。
私、は。


セイロンが、すきです。