風がそよぐ


日差しが優しく全てを照らし、世界を温かく包む
頬を撫ぜる風のなんと気持ちのいいこと






















ああ、これが望んでいた世界





















遊牧民と羊がゆっくりと草原を歩む。
生まれたばかりの子羊が時折止まって草を食べながらのゆったりとした移動。
それを急かすように幼い子供がそっと羊の頭を撫ぜた。
小さく鳴いてまた歩き出す羊を、流浪の民の子供は愛しげに見つめた。



数年前まではありえなかった風景。



新たなる王となった人物の住まう地に、彼等は恭しく礼をした。
平安を、喜びを取り戻してくれた彼の人に彼等は幸福を願う。
『人』の世の王に。





この地の『人』は誰も知らない物語。
人ならぬ仙と、始祖を巡る物語。
下界に住まう『人』のための物語。





その物語の戦いに終焉を齎した人物が、寂しくてたまらなかったなんて、きっと誰も知らない。


ただ、一人を除いて。


























「師叔」


「いやじゃ」




同じ言葉を、今日何度繰り返したのか。
考えるのも嫌になって楊ゼンの方が折れた。
太公望の弟子から彼の無事を知らされてから早や数ヶ月。
仕事の合間にこっそりと世界中を飛び回ってようやく見つけたというのに、本人はまだ戻りたくないのだという。
力ずくで連れ戻そうとしても相手が相手なだけに無理なことであろう。
仙道を率いる世界の新教主となっても、楊ゼンは太公望を忘れたこと等一瞬足りとも無かった。
何しろ面倒な後始末を残してさっさと消えてしまったのだから、恨み言のひとつも言いたくなる。
もう、その存在が消えていても・・・・・・そう思っていた。






「皆に報告しなければ大変なことになりますよ?」






彼に関わった仙道たちは、いい事にしろ悪いことにしろ、彼に言いたいことが山とある。





「帰らんとは言っておらぬ」





言って、太公望は崖下で休憩している遊牧民達の姿を見た。





「もう少しだけ・・・・・・人の世界を見ていたいだけじゃ」




哀愁漂う瞳で、彼は今何を思っているのだろうか。
楽しげに走り回る子供達に、何を重ねているのだろうか。






「・・・・・・・・・・・本当はこのまま下界で暮らしたいのでは?」





偽りで、真実の両親が、兄弟が眠るこの地で、暮らしたいのではないのか。
咽まで出かかった言葉は結局発せられることは無かった。
彼は人が好きだから、軽々しく言ったらそれが本当になりそうで怖かった。






「アホゥ」


「?」






















「隠れんぼも追いかけっこもう終わりじゃ。鬼が見つけたら、今度はわしがおぬしを追う番じゃ」


























ああそうだ。
彼は何時だって大地を吹き抜ける風のようで、空を流れる雲のようで、まったく掴み所が無い。
手を伸ばしても届く前に掻き消えて。
何時も追ってばかりで、その逆は無かった。


























「そうですね」
























本当は、彼が下界で暮らしたいと言っても聞かないつもりだった。
もうこれ以上離れていたら、自分の方が寂しさで死んでしまいそうだから。
その言葉に、心から歓喜した。
嬉しくて、嬉しすぎて、泣きそうな顔で笑った。




彼はなんだか驚いたような顔をして、数秒後には同じような顔で笑った。