「ちょっとは自分の体の事を考えてください!!!」
閉じきった部屋いっぱいに響きわたった金切り声に、声を発した本人以外は急いで両耳を塞いだ。
それでも尚余りある大音量に鼓膜の蝸牛が悲鳴を上げている。
しかし当事者であるセバスチャンはベッドの上でそしらぬ顔をしている。
「セバスチャン!!聞いてるんですか!?」
「‥‥‥聞いているが」
更に言うなら聞き流しているが、わざわざ公言することでもない。
今のツネッテには何をいっても日に油を注ぐ事にしかならないのは分かりきっていたから余計口に出すべきではない。
使用人の休憩室にある簡易ベッドに無理矢理寝かされて渋面を作っているセバスチャンもツネッテの異様な怒りようにやや低姿勢気味であった。
「いいですか、セバスチャン!!今の貴方は女性なんです!体に無駄な負担を掛けて何かあったらこれ以上の騒ぎが起こること必至です」
拳を目の前でギュッと握り力説するツネッテを、まわりはあっけにとられたように見ている。
「ご自分のためにも、まわりのためにも、お願いですからちょっとだけ大人しくしていてください」
いいですね、と念を押されてしぶしぶだがセバスチャンも頷かざるを得なかった。
こくりと頷いたものはいいが、果たして自分の居ない職場でマトモに職務をこなせるのかと心配そうな視線を投げた。
それに気づいたディビッドがにこりと微笑んで見せる。
床に置いていた手提げ袋をセバスチャンのいる方向に向けて掲げて見せた。
「これ借りとくな、ハニー」
「・・・・・・・・・・」
短いアイコンタクトだったが、ディビッドの笑顔の裏になにかがあったことはセバスチャンのみが知る。
そんな言葉の無い交信に羨ましそうにしていたAが何か言おうとした時だ。
「・・・・・・っ!!!!!来る!!!!」
Bが全身の毛を逆立ててディビッドの方向へと居直った。
ガタガタとふるえながらディビッドの背後に隠れると、うずくまって自分のからだを抱きしめた。
そのBの様子から皆が覚悟を決めた時、ドアノブが回った。
ギィィィィ、とごく普通のドアが異様におどろおどろしい音を立ててゆっくりと開いていく。
少しずつ開くドアの隙間からは生暖かい風が吹き、ねっとりとした空気が流れ込む。
部屋の中はしんと静まり返っている。
ドアが開く、けれどそこには誰も居ない。
誰かが息を呑むを飲む音が聞こえる、しかしその音が終わるその前に。
「やあ」
「ぎにゃあああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
Bは自分の肩にかかる手の重みと温かさ、そして耳元で聞こえる声にあらんかぎりの声で悲鳴を上げた。
分かっていた、どこかでこんな事になるのではないかと予想もしていた。
けれど、けれど、そんな事程度ではこの恐怖を押さえる事など到底出来ない。
・・・・・怖い、怖い・・・・・怖い・・・・!!
恐怖で神経が焼き切れそうになる、しかしBが気絶する前にユーゼフはBから離れた。
風を切って飛んで来たナイフが二人の間をめがけてとんでいったからだ。
ストン、と小気味いい音がしたかと思うとナイフは壁に突き刺さっていた。
「何の用ですか」
「何って、決まってるじゃない。お見舞いだよ」
セバスチャンの攻撃を見事かわして、ユーゼフは笑顔でそこに立っている。
手にフルーツバスケットを携えて。
「結構です、ですから早く出てってください」
「まあまあ、そういわずに。僕のせいでもあるし」
それだから余計に嫌なのだと、言外に告げるセバスチャンだったが知ってか知らずかユーゼフは一向に部屋を出て行こうとはしなかった。
何の害もなさそうにニコニコと笑っているのに、背後に黒い物が見えるのはなぜなのだろう。
冷たい風が吹きすさぶ室内でユーゼフとセバスチャン以外の人々ははそう思いつつ、動向を見守っている。
この状況で口を出すのは精神衛生上、非常によろしくない。
だがその沈黙はあっさりと破られた。
『おいおいユーゼフ、こいつも恥ずかしがってるんだから少しは察してやれよ』
「・・・・・おい」
「ああ、そうだね。セバスチャンは昔から恥ずかしがりやさんだからね」
「ちょっと待て異次元生物二体」
何時の間にか現れたヘイヂはソファの上に鎮座しまして暢気に茶など啜っていた。
今朝方早くに生コン詰めにされて下水に流されたヘイヂだったが昼を過ぎて戻ってきたらしい。
・・・ちょっとばかり生ゴミ臭い臭いがするが。
ついでに言うならば服のいたるところに固まったコンクリート片がこびりついていたりする。
しかし当の本人は全く気にしていない様子であった。
ただしセバスチャンのムカツキ指数は着実に溜まっていっている。
もう少しで目からビームが放てそうな程に・・・というのは冗談だ。
そのギラギラに尖りきった殺気を肌に受けてヘイヂとユーゼフはわざとらしくため息をつく。
『ほんのおちゃっぴいじゃねえか、冗談の通じねえ奴だなあ』
「軽いジャブなのにねえ・・・・」
セバスチャンの言う所の異次元生物二体はそろって同じ様にやれやれと肩をすくめて見せた。
『けどお前があの程度の罠に引っかかるなんて珍しいな』
あの程度の罠、とまるでそれを実際に見たかのように話すヘイジだがそれに対してツッコミを入れられるほどの余力を残した物はこの部屋には誰一人としていなかった。
ユーゼフがそうだねぇ、と返すとセバスチャンの肘が僅かに動いた。
臨戦体制に入りかけたセバスチャンだが、ツネッテが縋るようにこちらを見ていることに気づき何とか思いとどまる。
代りに地のそこから這い出す魑魅魍魎の如し暗澹たる声を咽から絞り出した。
「・・・・五月蝿い」
セバスチャンにとっても計算外であった出来事で、本人にとっても不本意だったのに他人の口から言われたのでは苛立ちを隠す気にもなれない。
苦虫を潰したような顔でヘイヂを睨む。
「ああ、けど当然といえば当然だよね」
「え、それってどういうことですか・・・・?」
恐る恐るツネッテがユーゼフに尋ねた。
あのセバスチャンがあんな幼稚な罠に引っかかってしまうのが当然と、そういえる理由とはいったい何なのか。
「だって体が女になって身長が縮んだんでしょ。当然手足は短くなってるし、いつもと同じ感覚で動かしたら差が出るのは当然じゃない」
しかもセバスチャンの運動量、その質は通常の比ではない。
常に自分のからだの感覚を理解でき、そのコントロールを無意識下に行えるほど洗練された動きはその差に耐えられなかったのだ。
「た、確かに・・・・・」
「それを考慮しないで僕も動いてたからね、結構キたでしょ?」
「・・・・・・・・」
無言で顔を顰めたセバスチャンはソファの上で腕を組んだまま動かない。
ユーゼフの投げかけに否定もしなければ肯定もしない。
沈黙は肯定なり、とそんなことばがディビッドの頭をよぎった。
多分、辛かったんだろうなと思ってみると急にセバスチャンが小さくなったように思えて少し切なくなった。
そんなことは一言も洩らさなかった、動作にも表情にも出さずにいつもの通りに振舞っていた。
「ハニー」
「・・・?」
無表情でつかつかと寄ってくるディビッドを、皆が目で追った。
ぽん、とセバスチャンの頭の上に置かれた手のひら。
もう一度繰り返して、ディビッドはにこりと笑った。
セバスチャンは呆気にとられたように、固まっていた。
ディビッドが離れても、ぼーっとそのままの姿勢で。
「いい子だから、今日から丸一日寝てなさい」
ユーゼフの幼子に対するような軽い口調にも、セバスチャンは表情一つ変えず無表情で何の言葉も返さなかった。
その後まるでスイッチが切れたようにコテン、とそのままソファに倒れこんでセバスチャンの静かな寝息が聞こえ出した。
ツネッテがブランケットをかけ直し、なるべく音を立てないようにと他の面々はこっそりと退室した。
+ + + + + + + +
柔らかな日差しが差し込む部屋の中はとても温かく、邪魔の無いその空間はとても居心地が良かった。
一応見張りに、と残ったツネッテもその陽気に欠伸が出るくらいだ。
「・・・・・・女神様みたい」
あまりの造作のよさにそう呟いてしまうのも、至極当然のことのように思える。
人が一人二人寝転がっても問題無いくらい大きなソファを独占して無防備な姿を晒しているセバスチャンは、年齢よりもいくらか若く見えた。
幼い、といってもいいくらい。
普段が普段なだけに、そんな小さなことが妙に可愛らしく思えてなんだか変な感じだ。
決して恵まれた環境ではない、仕事は口で表現できる範囲を越えるくらい大変だし気苦労も多い。
けれど、よくよく考えてみれば自分達を統括し仕事をこなすセバスチャンはその何倍も何十倍も大変なはずだ。
睡眠時間だってそんなには取れていないだろう、けれど彼が弱音を吐くのを聞いたことは一度も無い。
「お疲れ様です」
乱れた髪に触れてそう呟くと、セバスチャンが僅かに身じろいだ。
「ん・・・・・」
起きてしまうだろうか、と焦ってツネッテが手を引っ込めようとしたその瞬間。
「ぅ・・・・・」
「え?」
ぐい、と見た目の細さからは到底想像も出来ないような強い力で引き寄せられ、一瞬後にはセバスチャンの寝顔が間隣にあった。
「なっ・・・・・」
気づけば、その体の上に乗り上げるような形で抱き込まれていたのだ。
すぐそばに感じる他人の気配。
温かな温度。
「んぎゃああああああっ!!!!せっ、セバッ・・・セバスチャン!?」
「るさい・・・・さっさと寝ろ・・・・・」
デンジャラスねぼっけーセバスチャン再び。
「ね、寝ろって・・・な゛っ・・・ちょっと・・・」
冷や汗をダラダラと流しながらどもるツネッテをよそに、不機嫌そうに眉を寄せたセバスチャンが細い指でツネッテの頬を包み込んだ。
少し潤んだ蒼の瞳がこちらを見つめている。
その熱視線にツネッテが絶えられるはずも無く、顔はあっというまに赤く染まり動悸が激しくなってくる。
いや、だめよツネッテ!!今のセバスチャンは仮にも女なんだからトキメイテはいけないのよぉ〜〜〜!!!
と、いくら思っても体はぴくりともしない。
「ツネッテ・・・・・」
甘く掠れた声が、耳朶をくすぐる。
背筋にぞくりと走るなにかを感じて、ツネッテは思わず息を呑んだ。
ぎゅう、と強く抱きしめられてツネッテの頭のネジが2、3本抜けとんだ。
しかし彼女はまだ耐えた。
「いやぁあああああああああああ!!!!ダメッ・・・絶対にだめですセバスチャン!!!」
「何が・・・・」
「うぅっ・・・あ、アレですマリア様が見てらっしゃいますから、ダメです!!ダメダメダメダメダメダメ・・・・」
もう言ってることが支離滅裂である。
セバスチャンのほうももう寝ぼけモードに浸りきっているので何を言っても無駄であったが。
早く何とかしなければ自我の崩壊も近い、ツネッテはあらん限りの力で叫んだ。
「誰か助けてえええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!」
ぇー えー えーー えーーーー
悲痛な叫びが木霊する。
自らの叫びが頭の中でいつまでも響き渡り、それを聞きながらツネッテは自身の意識を半ば捨てやった。
+ + + + + + + +
「ぅぐっ・・・ひぐっ・・・・・ディビッドさ〜ん」
「あー、よしよし。泣くなって、お嬢ちゃん」
涙を滝のように流し、ツネッテはディビッドにぴったりとくっ付いていた。
もう羞恥もクソもあったものじゃない。
「でもいいなー、ツネッテ。俺も添い寝は経験したけどさすがに上に乗ったりは・・・」
「五月蝿いわよ馬鹿ーーーーーーー!!!!!」
Aによって傷をえぐられ、ツネッテは強烈なアッパーカットを繰り出した。
「ぐえっ・・・」
「余計なこと言わなきゃいいのに、馬鹿め・・・」
「気にすること無いって。ハニーだってただ寝ぼけてるだけなんだから、別に百合っぽいとかそういう疑念は持ってないって・・・」
「百合とかなんとかっていう次点でもう思ってるじゃないですか!!!」
何を言っても怒号しか返せなくなっているツネッテを、ディビッドは苦笑いしながら宥めつづけた。
保父さんよろしく背中を擦り、優しい言葉を掛けていくとツネッテもだんだんと落ち着いてきたのか涙も止まった。
「落ち着いたか?」
「・・・・・はい」
ハンカチを取り出し、深呼吸をする。
ディビッド達が叫び声を聞いて駆けつけてくるまでの数分、それが何時間にも思えて思い出すだけでも赤面する。
言葉にならないくらいの小さな呟きをもごもごと洩らす。
「ん、どうした?」
「・・・・・った」
ハンカチで顔を覆ったツネッテは俯いて顔を上げようとしない。
一同はツネッテの周りに集まり、耳を済ませた。
「すごい良い匂いがした・・・」
なんかフローラルな感じの。
ドギマギしつつ言うツネッテに、一同は『これでお姉様とか言い出したらどうしよう・・・』と思ったとか思わなかったとか。
END