つまらない毎日。
変わらない毎日。
あの頃のように、笑えたら。
あの頃に、戻れたら。
「おはよう、キティ」
必要以上にコロコロと太った飼い猫に挨拶をして、すでに用意された朝食を取るべくテーブルに向かう。
やや形の崩れたサンドウィッチは見た目に反し割と美味しい。
ミルクをカップに注ぐとキティが足に擦り寄って鳴いた。
どうやらお腹がすいたらしい。かといって私の分のミルクを渡す気もない。つまり追加が必要だ。
なんというか、私の家はとても大きい。特に意味もなく広い。
広いのだけれど、今日はこの家に私以外誰もいない。
メイドもにも執事にも、私が一日暇を出したからだ。
・・・・・留守中の父に内緒で。
私はこの街有数の富豪の娘だ。
母は私が物心つくまえに亡くなったらしい。
片親だけなのだけれど、数人の優しい使用人たちが何時も遊んでくれたから寂しい思いをしたことは無い。
たとえ父が殆ど家にいなくても。
最初に言っておくけど、別に社交界特有の『うわついた色事』関係でなない。
父は無くなった母一筋で、姿絵を何時も懐にしまっておくほど今も溺愛している。
忙しいのは、仕事の貿易や領土問題が日々悪化傾向にあるからである。
毎日新聞のうえにデカデカと躍る難しい四字熟語にイラつく私の身にもなってほしい。
憂鬱な気持ちで机の上にある新聞を一瞥して、私は大きなため息をつく。
お金持ちといったら、自分は労働もせずに下らない娯楽に金を費やしているというのが大衆的なイメージなのだろうが、私の父は違った。
一生遊んで暮らせそうな金を持っているのに、毎日毎日仕事に労を尽くしている。
理由は簡単『三度の食事より仕事が好き』だからだ。
全く、我が父ながら真性の変人っぷりだ。
人間好きなものにはいくらでも打ち込めるという特性を用いているが故、父はまだ十二歳になったばかりの私を置いて今日も仕事に励んでいる訳である。
父のことばかり言っているが、私も十分変っていると自覚している。
一応世間一般で言う『お嬢様』な私は、実は庶民的な性格でなのだ。
学校に通っている時と使用人のみんなの前では『お嬢様』らしく振舞っているけれど、そうで無い時はごくごく普通の女の子と同じ。
口調を少し変えればそれで十分事足りるから苦ではない。
それに私がみんなの前で普通の女の子のように振舞うと、周りはとっても困るからこんな調子でやっていかなければならない。
私はこの家唯一の子供で、父も本当に母一筋で下に弟か妹が生まれる予定もない。
まだまだ先の事だけれど、未来の当主が庶民的な性格だなんてとても他に公言できたことではない。
社交界のいい笑いものだ。
祖先が作り上げた栄光を私の代でぶち壊す訳にもいかない。
・・・・・と、とても十二歳が考えるような事ではない様々な問題と戦った結果。
「ストレス溜まるったら・・・・・・・」
だから正規の雇い主である父に内緒で使用人全員に暇を出してみた。
このことを知った父は慌てふためいて私のご機嫌取りにかかるだろう。
その様が面白そうだから、実行した。
使用人の皆は私に激甘だから、私が少し俯いて
『皆にはとてもお世話になっているから、一日だけお休みをあげたいの』
と言ってみる。この次点では例え嬉しくとも子供の言うことなんて聞いてはくれないだろう。
『そんな、とんでもありませんお嬢様』
皆は口を揃えて言う。でも庭師のポールさんは涙ぐんでじっとこちらを見つめている。
お年になると涙腺が弱くなって涙もろくなるらしい。
『でもね、私はこの家の次期当主なのよ。皆に任せきりでは私のためにも、家のためにも良くないわ。自分にどこまでのことが出来るか試してみたいの。ねえ、だめかしら?』
首を斜めに傾けて、メイド長のリタの手を取った。
私の世話係も兼ねている婦人は、特に私に甘かった。
『ダメなはずがありませんわお嬢様!!!!!』
同時に後ろに控えていたメイドたちも頷く。
手にもった白いハンカチは少しだけ濡れている。
『ありがとう、皆・・・・』
ここまで来てしまえば、分別のつく若い男性使用人は流されざるを得ない。
幸いなことに家の仕事を合切取り仕切る執事は前日の昼から出かけている。
こうして私は丸一日の休息を手にいれたのであった。
愛猫のキティの分のミルクを皿に注いで、私は朝早く自分で作った不恰好なサンドウィッチに再びかぶりついた。
学校は休みだし、焦る必要も無いので足にすりよってくるキティと遊びながらゆっくりと朝食を取るのもいいだろう・・・・そう思っていたら、もう朝の八時だ。
せっかく丸一日遊べるのだから、いつまでもだらだらしているのはもったいない。
めったにない本当の休日を満喫するべく、私は急いで食器片付ける。
カチャカチャと音を立てながら、口にくわえたパンを落とさないように食器をひとまとめにした。
いつもならこんな風にするのは『お嬢様』らしくないからしないけど、今日くらいいいだろう。
「今日くらい・・・・・・・か」
自分で決めたものの、たった一日でこのたまりに溜まった鬱憤を晴らせるとも思えない。
明日になればまたいつもどうり・・・・・そう考えれば考えるほどだんだんと腹の底に重たい物がたまっていく。
なぁん・・・・・・。
足に擦り寄ってきたキティが咽を鳴らす。
つややかな毛並みを暫く梳いてやると満足したのか、キティは私から離れた。
「キティは良いわね・・・・いつでも自由に遊べて・・・・」
私だって、自由に遊びたい。
つまらない毎日を過ごすより楽しい方が良いに決まってる。
でも、言い出せない。
父はめったに帰らない。
家族のような使用人たちに心配や迷惑を掛けたくない。
どうしたら良いのだろう。
そして私は途方にくれた。
いつからだろう。
こんなに子供らしくもない、可愛くもない性格になってしまったのはなぜだろう。
父の執務室の椅子に腰掛けて考えてみた。
「私だって・・・・前はもっと・・・・・」
子供らしい子供だった。
いつの頃の話?
何日前?
何ヶ月前?
何年前?
『もっと、肩の力を抜いて・・・・自分のやりたいようにしたらいいんですよ・・・・・・』
「・・・・・・・・・・・あ」
記憶をさかのぼってみて、脳に響いた声。
楽しかったこと。
ほんの数年前まで日常だったあの場所。
思い出した。
あの頃の・・・・・・。
「っ・・・・・・・・!!!!!」
止まらなかった。
忘れかけていた物を思い出して、居ても立っても居られなかった。
私は金庫からお金を持ち出して、大好きなキティも置いてその日の内に家を出た。
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