Bは自分よりも高い位置からぽん、と肩に手を置かれて振り返った。
足音はなかったが、気配が皆無ということはなく、内心ほっとした。
最近は肩に手を置かれることにすっかり敏感になってしまったが、背中に瘴気を感じることもなかったので悲鳴も上げていない。
そこには皆のアイドルこと麗しのセバスチャン。
Bはほっと安堵のため息をつき、僅かに硬直していた筋肉を緩めた。
「セバスチャン、何かあったんですか?」
「ああ、すこし使いを頼みたいんだが」
『使い』と、その言葉を聞いた瞬間Bの表情が固まった。
セバスチャンに使いを頼まれ、お向かいの屋敷へと足を踏み入れたあの日・・・あのBの人生改革記念日以来、その言葉を聞くと全身に鳥肌が立つ。
微動だにしないBを見るとセバスチャンはやれやれと首を振る。
「いや、向かいではないから安心しろ。ディビッドが昼食の材料に足りない物があるから市へ買い出しに行って欲しいと・・・」
「ああ・・・・そうですか・・・・・」
大げさに目に涙を滲ませながら、Bはくじけそうになった自分を必至に励ました。
大丈夫・・・お向かいじゃない・・・・。
ブツブツとマインドコントロールのようにひたすらそう呟くBの姿は痛ましい・・・・というか哀れだ。
デーデマン家を取り仕切るバトラーとしては、勤続歴が比較的ながいBにはもう少しもってもらわねばならないという考えなのだが、なにしろ相手はあの暗黒代魔王である。
かのシューベルト作曲の魔王も目じゃない程におどろおどろしい瘴気の持ち主だ。
魔王という魔王を大終結させて戦わせても引けはとるまい。
うっかり異界にいったらなんと魔王でしたのなんちゃってマ王とか、くしゃみをするとツボから出てくる大魔王とか、某ナメック星人の大魔王とか、ニン●ンドーの赤い帽子のオッサン主人公のライバルのワニ大魔王とか、主人公『ボク』に幽霊よろしくとり憑いて世界を旅するアホな魔王だとか、まるで冷やし中華はじめましたなタイトルの従者が不死身メイド&ケモノっ娘&セクシーおねぇさまだというフザケタ魔王でも、まして幻の芋●●なんて・・・・比べるのもおこがましい。
是非一度見てみたい物だがな・・・と心中でひっそりとセバスチャンが考える頃にはBも幾分落ち着き始めていた。
「・・・・・・・いってきます」
「頼む、必要な物はメモに書いてあるから・・・・あと」
Bにメモと籠を渡しながら、一度きってからセバスチャンは言った。
「終わったら今日は夕方頃まで羽根を伸ばして来い、今日は天気もいいしな。あの人が来る前にさっさと行って来い」
「っ・・・・ありがとうございます!」
基本的には真人間、しかし周囲は異常者入り乱れ。
たまには人間としてはマトモな感性を取り戻しておかないと、この家でのお勤めなどできるはずもないのだ。
ガス抜きにと、たまに気遣ってくれるセバスチャンがいるからこその今。
それを事実をかみしめたBであった。
しばし幸せの余韻にひたり、Bが生き生きとしたオーラを放ちながら市場へと出かけたその直後。
「何気にキミってB君と仲良かったりするよね」
「貴方と違ってマトモな人間ですからね」
気配もなく突如として現れ、背後に立ち、話し掛けてくるユーゼフを気にとめた様子もなくセバスチャンは歩き出した。
コツコツという足音が響き、ユーゼフもそれに続く。
「そういうこと言われるとさしものボクも傷つくよ」
「くだらない会話をしている暇はないので、さっさと帰ってください・・・これからどこぞの誰かのせいで死にそうに増えた仕事の片付けがあるので」
「アハハハハ、それは大変だね」
「そう思ってたならさっさと離れて・・・」
「イヤだよー」
「・・・・・っいい加減にしろ!」
「キミは怒った顔の方がイイよね〜、すっごいソソるよ」
いつのまにやら立ち止まり、ガッチリと両肩をつかまれているセバスチャンは心底嫌そうな表情を浮かべて腹の底からため息をついた。
無言で訴えても、ユーゼフは変わらず笑顔で返す。
このいたちごっこはもう十数年ほど続いている。
知っているのはヨハンとマイヤー女史くらいだろうが、そのメンツでは止めようもなかった。
調理場を出て、廊下越しに見えた光景を見てディビッドは無表情のまま窓へと歩み寄った。
ディビッドの目が見間違うはずもない、セバスチャンが向こう側で・・・・お向かいさんとイチャついている。
磨き上げられた窓にもたれかかり、片手で何とか体をささえているディビッドはそれでも目を離さない。
それを見かけたヨハンが異変を感じて近づくと、ディビッドの手が窓に触れ
ピシッ
・・・・・・窓一面に巨大なヒビをいれた。
前日に引き続き、今日も食事は出なかった。
・・・・・・・この日ディビッドが厨房に引きこもったとかひきこもらなかったとか。