泣きたかった。
悲しい、寂しい、辛い。
何故なのだと、子供のように喚き散らして縋りたかった。
けれど、なけなしのプライドがそれを許さない。
自分の自由を奪うのは、いつだって他人ではなく自分自身なのだ。
届かないのは、手を伸ばさないから。
分かってもらえないのは、口に出さないから。


今更、後悔したって遅い。
そんなことは分かりきったことで、でも理解は出来なくて。
醜い感情をズルズルと引き摺ったまま、知らない振りをしていよう。
何もかも無かった事にしてしまおう。












いつもと同じだった。
多分その日も。

腕時計をチラチラと見やる火口が、いいかげんに鬱陶しくなってきた。
自分はベッドに押し倒されて、一切の動きを封じられて成す術もないというのに火口はやけに落ち着かない。
無駄に込められた力がギリギリと手首を締め付ける。
しかしおそらくそんなことは気付いてすら居ない。

火口は、俺を見ない。





「どうかしたのか?」


これだけ蔑ろにされて気にしないわけがない。
寧ろソレはこちらのセリフだ。


「・・・・何だ、突然。そっちこそ、最近やけに落ち着かない様子じゃないか」


言い返しても、火口は必ずこういい返す。


「別に」


便利な言葉、ただそれだけの言葉で済ませてしまうのはずるいけれど聞き返すだけの勇気もない。
自分は間違いなくこの男に依存していて、このままの関係を続けていきたいと願って止まないのだから。

酷く臆病で、愚かしい。
ほんの小さな物でも、きっかけを与えてしまったら。
きっと離れていく。
考えれば考えるほど深みにはまって戻れなくなる。

どうせ傷つくのは自分だけだ。
もうこの男の心は自分に向けられていない。
体も離れてしまったら、もう何も残らない。





触れ合っている体温がじんわりと体に染み込んでくる。
自分の体は冷たいから、混ざり合って丁度いいくらいだと思う。

逆光で、表情は良く見えない。
シーツに両手を縫い付けられてろくに身じろぎも出来ないが、会話の途中で火口の体が僅かに揺れた事でベッドがギシリと音を立てた。
数秒の沈黙。
壁に掛かった時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。
なんだか居心地悪いのはお互い様で、言葉のないままただ触れ合うだけで、虚しいだけなのは分かりきっていたのに。
断れなかったのは、ただあまりにも慣れすぎて断るのも今更過ぎると思ったからだ。

乾いた唇が一瞬だけ触れて、すぐに離れた。
短く息をついて、火口は体を起こす。
それにならってだるい体を上体だけ起こすと、火口はシャツのポケットから煙草を取り出した。
ライターの火がぼぅっと窓に映ってすぐ消えた。
煙草の火の淡い光がちかちかと眼球の奥に刻み込まれた。



「なあ・・・・」



言い渋る言葉を継いで、床に散らばっている上着と携帯を手渡した。
火口は動きを止めて探るような目でこちらを見る。
何を、期待しているのだろう。

自分は

アイツは






「すまないが明日早くから用事がある。追い出すようで悪いが帰ってくれないか?」



偽りの言葉はさらりと口をついて出る。
自分でも分かるくらい、少しばかり早口に。
でもせめて悟られないようにと冷静に。


「お互い忙しい見出しな、埋め合わせは・・・・・・まあ遠くないうちにいつか」


「あ、ああ・・・・・・」


曖昧な返事、助かったとでも思っているのだろうか。
こんな嘘に容易く引っかかるほどに精神が疲弊しきっているのか。

上着に袖を通し、その後は数分とたたず火口は出て行った。



ドアの閉まる音が、時計の音が、響いて、消えない。











気付いたのはいつだっただろうか。
投げかけられる視線が、言葉の一つ一つに今まではなかった種類の感情が混ざり始めたのはいつだっただろうか。






「嫌いだ・・・・・・」


大嫌いだ。
気持ちが悪くて吐き気がする。
もう全て止めてしまえ。
存在しないものを望むのは止めてしまえ。

『嫌いだ』と呪文のように呟いて、ベッドの上に横たわって目を閉じる。

自分に関わることだから辛いのだ。
他人事でないから苦しいのだ。




なら、忘れてしまえばいい。





もうどうせ、お前には必要のないものだろうから。
そしてお前もソレを望んでいるだろうから。
全部、無かった事にして。


















「火口だろうな」



















どこまでもどこまでも、最後まで追い詰めてお前に相応しい終わりを迎えさせてやるよ。





目の奥でジワリと熱が込み上げる。
大きく息を吐いて、静かに泣きながら朝を待った。

















END