部屋に帰れば、すぐに分かるほど強く香る花。
しかし不快ではないのは小ぶりで可愛らしいその花が散る際だからだろうか。
大きな花弁はだんだんと形を崩し、あと半日もすれば花首ごと落ちそうである。

冬風寒く吹く季節に不似合いなその花を手折り、奈南川はうすく桃色がかった白の花をそっと唇に押し当てた。





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白紙のメッセージカードの添えられた百合の小さな花束が届けられた。
こんな物を贈られる覚えも無かったし、当然贈り主の予想もつかない。
ベルボーイに尋ねると、ほんの少し苦笑を含んだ顔で帽子の唾を抑えて言葉を曖昧に濁した。

その仕草から、一応は不審物・・・悪戯などではないことは理解できたが、同時に金とある程度の地位があれば何でも出来るという世界の妙な法則を改めて実感させられて少し気分が悪くなった。
不機嫌を顔に出したつもりは無いが、雰囲気から感じ取ったのかベルボーイは丁寧にテキスト通りの挨拶をして退室した。
ドアが完全に閉まり、オートロックのカギがかかる音を確認した後、奈南川は肩を落として小さなため息をついた。




贈り主不明


目的不明



そんな物を受け取ったのは別に初めてではないし、めずらしくもない。
ただ、直接自分へと送られてきたのは初めてだし、何よりも内容が花だ。
就いた仕事柄、意図して知ろうとしたわけではない社会事情を知ってから随分経つ。
それでも、仮にも男の自分に花などが贈られてこようとは予想もしなかった。
不明、というよりは明瞭でないそれの意図するものは表立って口に出来る物ではないし、わざわざ予想するまでもないのだが。
だからこそ、気になった。



花に罪は無い。
だから飾っておいた、それだけのこと。
もちろんこの後に起こりうる可能性など、考えもせず。















奈南川は煙草を殆ど吸わない。
そもそもこのビル内は禁煙で、吸うつもりはなかったが。
そうでなくても腹の探り合いで少なからず精神が疲労しているのに、煙草の匂いなんで嫌な刺激にしかならない。
なのに、エレベーターの真前で煙草をふかしている男はニヤニヤと薄笑いを浮かべながら奈南川に話し掛けた。



「よう、機嫌悪そうだな」


奈南川は自分の眉間に皺が寄るのを感じたが、ズケズケと物を言うこの男に気を使うこともないだろうと、そのまま返した。



「煙草臭いのは苦手なんだ」


「そうか」



咽を鳴らして短く笑った火口は、手から煙草を離して床に零れた灰ごと靴の底で踏みつけた。
ゆっくりと落下していく小さな光が目に焼き付いて、しかしそれは一瞬で消える。
奈南川が僅かに視線を上げると、火口と目が合う。



「なあ」





火口の動きはひどくゆったりとしていたように思えた。
手もちぶさにしていた手が、奈南川の髪を掴んだ。
気付けば、息のかかる距離に火口は居たが奈南川は身じろぎもせずその場に立ち尽くしていた。



目が合ったまま、動けない。


火口の肩越しに見えるエレベーターのランプがちかちかと点滅している。
十秒にも満たない時間は、いやに長く感じられ時間が止まったかのように錯覚すらする。
火口の無骨な指が奈南川の長い髪を一つに結ったゴムを取り払う。
真っ直ぐで癖のない黒髪に引っかかることなく、同色の髪留めは火口の手へと渡った。




「ロージィ リリー、知ってるか?」



「・・・・・・・・?」



「コロンか?結構香りキツイぞ」




何か言おうとして、無意識に口が開いた所で チン、と金属質な音が鳴った。
無意識に視線をやると、エレベーターが着いて火口は既に閉まりかけたドアの向こう側にいた。









「じゃあな」








声が、ひどく遠かった。



















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調べればすぐに分かることだった。
それ以前に自分はあの時コロンをつけていなかったし、花の移り香程度で種類まで分かるわけもない。
気付かなかったというよりは、気付きたくなかったのだろう。
姫小百合という名の小ぶりな百合が届いて数日。
その花が美しさを保てなくなり始めたその時、唐突に理解して自分の無知を呪った。



「・・・・・・花に罪はないさ」












白い百合の花弁は、今も開かれることのない本の間に挟まれている。













姫小百合の別名『乙女百合』