『そばにいろ』
めずらしく、そんなことをいわれたから。
ここ最近、奈南川はずいぶんと眠そうだ。
気付いたのはついさっきのことで、半ば意識を飛ばしかけている所を見てやっと気付いたのだ。
頬杖をついて、長く伸びた爪で眠気を飛ばすように首筋を引掻く。
部屋の寒さで白くなった指。長い髪と、頬杖をつく腕で隠れて見えないがきっと赤くなっているのだろう。
しかし、数分するとその手の動きだけはそのままに奈南川は目を閉じた。
手の動きに合わせて奈南川の黒髪が僅かばかり揺れていることを除けば、そのまま寝入ってしまったと思っただろう。
いや、もしかするともう既に夢の世界なのだろうか。
オレはキーボードを叩く手を止めて奈南川の手を掴んだ。
途端、両目が開かれて呆けたように俺を見た。
「オハヨウ」
少しおどけたように言った。
からかったつもりだったが、奈南川はそのまま何の反応も返さない。
いつもなら言い返すとか、素振りだけでも怒って見せるのに。
寝ぼけているのだろうか。
「奈南川?」
呼んでも何も答えない。
掴んだままの腕は抵抗する気配もない。
手首を強く握って、引き寄せた。
椅子が倒れて、奈南川が床にへたり込んだ。
そのときになって、ようやく奈南川が口を開いた。
「ぃた・・・い・・・・・・」
奈南川の腕に力が篭る。
人形のように力なく項垂れていたが、弱々しい抵抗でオレの腕を振り払おうとする。
オレは息をついて奈南川の腕を放した。
「眠いなら寝ろ」
無理に起きている理由なんてどこにもないはずで、当然奈南川はベッドに入って寝始める物だと思っていたら、奈南川は小さく横に首を振った。
目を開くことも出来ないくせに、小声で『おきる』と言った。
けれど体のほうは弛緩しきっていて、ずるずるとへたり込んだ体制から床へと転がる体制になる。
「お前なぁ、最近ずっと眠いの我慢してたんだろ。さっさと寝ちまえ」
「・・・るさい・・・・・」
ゴロ、と寝返りを打つようにしてオレに顔を向けた奈南川は力の抜けきった片腕で上体を浮かせた。
上体を起こしたかったらしいが、うまくはいかなかった。
「・・・っ大体、お前の、せいだろうが・・・・・・」
ようやく思考に体の動きがついてきたのか、途切れ途切れに文句をいう奈南川はだんだんといつもの調子に戻ってきている。
変なところで安堵を感じながらも、非難されるいわれはないと反論しようとした時だ。
どうせ仕事の詰めすぎでロクに寝る時間も取っていないのだと思ったが、良く考えてみれば違う。
いや、良く考えなくても違う。
「もう・・・・・明日から夜にお前の家にはこない!」
そうだった。
良く考えてみれば、ここ数日毎夜毎夜仕事に疲れて眠っている奈南川を無理矢理襲っているのは自分でないか。
ああ、そういえばそうだった・・・と今この場で言ったら怒られるに違いない。
正直すっかり忘れていた。
オレも寝ていないのだが、それすら忘れていた。
奈南川を横目でみやると目の縁を赤くして唇をかんでいた。
「いや・・・、悪かった。いいから寝ろ」
申し訳なくなって、直に謝ったつもりだった。
なのになぜか奈南川はひどく怒って、もうしばらく会わないと呟いて帰っていった。
緩慢な動きで、止めようと思えば止められたのになぜか行動に起こせなかった。
もうしばらくあわない
その言葉に、柄にもなく動揺していた。
「・・・・・・・・なんでだ?」
寝ぼけているのは自分のほうだと、何故気付けないのか。
夢心地になりながら、無意識に呟いた言葉などとっくに忘れてしまっていたのだ。
それは戯れごとだったのだろうけれど、好きで体を預けている相手に『そばにいろ』といわれたらききたくもなるだろう。
眠りにつくのを引き止めるように、そんなことをいわれて。
そうしてやろうと思っただけなのに。
「・・・・・・・あの寝ボケ大王がっ!」
自分も寝ぼけてはいたけれど、あの男ほどではないと思う。
しかも、ちゃんと表面に出る分だけ幾分かはマシ。
多分、火口は丸3日ほど殆ど眠っていない。
なのに、この差はなんだろう。
「バカ・・・・・・・・」
後:寝ぼけというよりはただのボケ、痴呆症火口。