この身を滅ぼさんとする、己の内から湧き出てくる陰鬱として暗澹な欲求は日を追うごとに増していく。
一日、一日。
時を経るごとに、『ソレ』は自分の深層でだんだんと大きくなりやがて意識を侵すようになる。
止めようとしても、その術を知らない。
形を確かめるように、深く沈みこんだ思考の奥でそれを感じ取ろうと意識を研ぎ澄ませた。
その姿を捉えようと目を凝らすと一瞬にして世界は反転し、自らの姿を確かめることも叶わないほどの闇。
形を確かめようと手を触れれば、痛みもないほど鮮やかに皮膚は裂け、流れ出る鮮血。


ああ、もうどうしようもないのだと。


悟った時には、もう『なにか』が壊れ始めていた。






ニ、三日に一度の頻度で一護は浦原商店に訪れる。
大抵は学校の帰りで、部活動に所属していない一護は寄り道もせずまだ日の明るい内に帰宅する。
十代も半ばの健全な男子高校生にしては、随分と真面目だ。




「こんにちは、一護さん。いらっしゃい」



そうして今日もいつものように一護はやってきて、浦原の出迎えの挨拶を受けてそっけなくそれを返す。



「おう」


浦原は目深にかぶった帽子と口元に当てた扇子で表情が隠れているが、声音だけはいつも変わらない。
特に変わったこともない、いつもどうりに一護は机の上に勉強道具を広げている。

きょうび真面目に予習復習をほぼ毎日している男子高校生なんて彼くらいなものだと、浦原は小さく笑った。
チラ、と覗いただけだったがノートも真面目にとっているようだし分かりやすくまとめられている。



「なに笑ってんだよ」


視線に気付いたのか、一護が少し距離を置いて煙草をふかしている浦原の方へ向き直った。
含むような浦原の笑みに、一護の気分はだんだんと悪くなっていく。
埋め様もないその差は、こんな形でも現れる。
子ども扱いされているようで嫌なんだと、まだまだ子供だろう一護は不貞腐れたように言った。



「ごめんなさいね、それはアタシにもどうしようもできませんから」



実質、子供なんだから。
そればかりは仕方がないではないか。

叶わないことというのは、どうしてなかなか魅力的なものだ。
叶わないから、余計にそう思えるのかもしれない。



「じゃあせめてその薄ら笑いヤメロ、気持ち悪い」


「笑ってませんてば、これが普通なんですよ」


煙管を傾けて、灰受けにカコンと小さく音を立てて打つ。
苦笑しても、やはり浦原の表情から独特の笑みの形は消えない。
止まったままの一護の手にはシャープペンが握られたまま、そのまま何秒かにらみ合う様に向かい合っていると芯がプッツ、と音を立てて何処かへ飛んだ。

よく見れば、一護の手は力が篭りすぎて微かに震えている。
ビデオの停止ボタンを押したままのような状態、チリチリとした焦燥感はなんなのだろう。
いつもなら、ここで一護は浦原を無視してまた自分の課題に取り掛かるところだ。

とはいっても、課題なんて本当はこんなところでやる必要もない。
気付いている、そんなものはただの言い訳に過ぎないと。
自分をじぃ、と見つめてくる茶色の目。
背筋を伝って隋まで駆け上がるゾクゾクとしたものを感じ、浦原は一層笑みを深くした。
すると一護も肩を揺らし、体が強張ったように固まる。
部屋に馴染んでもう慣れてしまった煙草の香りが風に揺らいで、一瞬だけ強く香る。
深く息を吸い込んで、肺に満たされた空気は心なしか甘い。



「あ・・・・」


一護の咽が引きつったように震え、出そうと思っていた言葉は欠片も出なかった。
そうして一護は無意識の内に、捕食者から咄嗟に逃げる動物のように顎を引いた。
急速に冷えていく体感温度、けれど冷や汗すら出ない。
まるで、凍りつくような。



その顔が、イイ。

舌なめずりするほど、その感情が欲しいと浦原はただただ切望する。
自分以外の誰も知らない臓腑の奥で、アレが欲しいのだと声を張り上げて叫ぶ欲望を必至に押さえ。
けれど溢れ出るそれはいつか関を切ってとどめようもなく荒れ狂うだろう。

ねぇ。
猫なで声で強請ったなら、君は許してくれるだろうか。

殺したいと、思うのは嘘ではない。
けれどね、本当はもっと違うことを望んでいる。

君が、自分の死ぬ様を目の前で見届けてくれないかと思っている。
残酷に、呆気なく、勢いよく噴出す自分の血を浴びながら今みたいな顔をする君が見てみたいと思っている。
脳漿をぶちまけながら、腹から電線のようにズルズルと伸びた臓物を引きずり出して、背骨に沿った神経の束を爪で傷つけて。
顔半分を切り取ってその断面を晒しながら、体から一滴だって血を残さずに絞り取って。
グチャグチャになった脳味噌をね、踏みつけて細胞の潰れる音を聞いてよ。

そうしたら、きっと永遠に忘れない。


言葉にせず浦原は腹の中で腹の中に魔物を飼い続ける。
なおも言い募る、誰にも分からない己の心のそこで。
時折、戦いと血と、その独特の快楽に美しく鳴く相棒の鋭利なひっ先を首筋に当ててしまうのだと。
頚動脈まで思い切り刃を立てて、そのまま首を切断してしまいたいのだと。


君の、目の前で。



これを自殺願望というか、いいや違う。
何も自傷したいわけではない、全てはただ一つの願いのため。
望むのは、君の心。
それを永遠にするために、ずっと記憶に留めておくために。
鮮烈な赤こそ、それに似合いだと。
それが自分の物だからこそ、きっと彼は忘れない。

けれど、そこまで思ってもまだ実行する勇気はない。
結局、なんのことはない。
単なる妄想、臆病者のつまらない偶像に過ぎない。


「黒崎さん」


その呼びかけに、短く激しく息を吐き出し一護は顔を上げた。
まだ強張ったままの表情をなだめかすように、浦原はいつものようにおどけて言った。




「アタシがここにいるとお勉強の邪魔になっちゃいますね、テッサイにお茶用意させましょう」


「ぅ、っ・・・浦原!」



木綿の糸が切れたように、ブツリと音を立てて消え去った緊張。
まだ威圧されているように感じたのか、一護は動くことが出来ずにいる。
なんとか絞り出した声も、震えた。

声を無視して、浦原は立ち上がる。
視線を畳の目に移して、どうにか視界に入れないように。




「呼んできますね」


戸に手をかけ、言うや否や消えるように部屋から退出した。


後に残ったのはなんとも後味の悪い暴力的な快楽の名残、それも一方的な。



愛していると、言う自分。
彼の目の前で死にたいと、思う自分。

そのどちらにも、偽りは、ない。