本格的な夏の前の夜が好きだ。
カーテンを揺らす風、窓際に座って時折意識を飛ばしながら音楽を聴く。
その時々の気分によって違う音楽は、耳に届きはするものの子守り歌以上の意味を持たない。
うっすらと汗ばんだ手のひらをシャツでぬぐって、冷たいフローリングの感覚をもっと感じるために床にごろりと寝転がった。
固い床の感触は長時間寝続けるには向かないであろうことは考えなくても分かることだ。
それでも、何の目的もなくただ訪れる朝を待ち、そして朝焼けの頃に眠るのが好きだった。
固くて冷たいフローリングの床、揺れるカーテンを目の端で追って、気持ちの良い風にあたって。

それも、今年の夏はできなくなってしまった。
一人きりでいるその時間は、いつのまにか二人になった。
短い季節にしか楽しめないその時間を奪われたのは不満で仕方なかったが、畳に寝転がるのはまた別な気持ち良さがあるので口に出して文句を言うことはなかった。
畳に匂いも好きだけれど、やはり長時間寝転がっているとまた問題が。
なにがって、腕やら頬やらに畳の跡がついてしまうことだろう。
みっともないというか、まぬけというか。


「ついてますよ、跡」


節の目立つ細い手が伸びてきて、反射的に体が逃げる。
払いのけようとした手はそのまま掴まれる。
別に、逃げようと思ってしたことではないのだが自然とそんな形になる。
動くとあついから、今ちょっとでも動きたくは無かったのに。

浦原の指が頬を撫ぜる。
喋るのも億劫なほどジメジメとして暑いこの気候でも浦原の手はひんやりしている。
きもちいい。


「あちぃな」


自分の手を浦原の手に重ねて、軽く起した上体をまた倒す。
ごろりと床にねころぶと浦原はそれにつられるように前につんのめった。
もちろん、倒れ込みはしなかったけれど。


「夏ですから、仕方ないですよ」


浦原はそう言うが、ちっとも暑そうじゃない。
いつも通り甚平に真っ黒な羽織、帽子。
暑くないんだろうか。
手、こんなにつめたいしな。


「アンタ、暑くないの?」


「あついですよ、黒崎さんのほっぺた」


「・・・・誰もンなこと聞いてねぇ」


チリン、と店先に吊るしてある風鈴が涼しげな音を立てる。
氷が崩れてグラスにあたる音とか、そういった音はそれだけでも随分と風情がある。
自分の体温よりも高い気温で情緒うんぬんと言っているのも馬鹿らしいが、ふとした瞬間にそんなことを思う。
まだ7月も始まったばかりなのに、すっかり夏気分。
キツイ日差しよりも、この夜の蒸し暑さに季節を感じる。
夏雲が明けの光に染まるその瞬間を目にする、あの光景が好き。
その、大好きな光景を背に浦原は笑う。


「あついですよ、とっても」












「どうせだから、もっと熱くなることしません?」






触れている指先の温度が、ほんの少しだけ上がった気がした。