この手が、この腕が、彼を傷つけるというのなら自分は喜んでこの腕を切り落とすだろう。


抱きしめる、という行為は時として優しく時として厳しい。
何の言葉も無く、ただ与えられる温もりはひどく虚ろで霞のようだ。
移った僅かな体温さえ、すぐに失せて、そこにあったものが虚構だったのか、現実だったのか。


それすらも分からないような、甘さ。


残るものは何一つとしてない。
記憶を辿れば常に傍らにあったはずの存在、けれどそれが己の妄想でないと断言することは難しい。
腕の中の彼は照れるように怒っていたり、あきらめたように呆れた表情でこちらを見ていたり、けれど笑っていた表情はあまり記憶に無い。
本当に嫌だった訳ではないだろう。
彼はそういったところで意外と辛辣だ。
優しいけれど、手厳しい。
好きは好き、嫌いは嫌い。
たとえやんわりとでも嫌な素振りを見せればすぐに分かってしまう。
彼は本当に正直な人間だから。そしてそういった人間は自分から近寄ろうともしないし、近寄らせようともしない。
だから、多少の抵抗があっても、わざとらしく吐き出すため息の数が一分間に5回という頻度だとしても、決して彼は心のそこから嫌がっていたわけではないのだろう。


いつからか、彼はとても辛そうな表情を浮かべるようになる。
それを覆い隠すような、うすっぺらな皮をかぶって彼は笑う。
弱々しい笑みだった、それはとても儚げに見えてとても胸が苦しくなった。



もし、本当に彼がこの腕を厭うなら、その時は喜んで自ら腕を切り落とそう。
耐えろ、堪えろ、絶えろ。
まだ、まだだ。
まだその時ではない。


その時が眼下に迫ろうとも、その時が来るまでは死んだって離してやらない。




彼が、自分を拒むまでは。