期待なんてはじめからしていない。
期待しても無駄だから。
かたい殻に閉じこもってしまえば傷つくこともない。
表面上だけなにもないように取り繕えばいい、そうすれば何の問題も起きない。
傷つくこともないし、傷つけることもない。それでいいじゃないか。
なのに、なんで、なんで。
「なんでお前は俺の深いところまで踏み入ってくるんだ」
背後から抱き込まれた腕に自分の腕を絡めた。
僅かに香る花のような匂いは彼が吸う煙草の香だ。
閉じきった部屋にはこの匂いで満たされていて頭が少しクラクラする。
「決まってるじゃないですか、あなたを愛しているからですよ」
嘘臭い言葉、安っぽい言葉、薄っぺらい言葉。
言葉だけなら、感情がなくてもいくらだって吐ける。
こんなにも軽々と好きだの嫌いだの、愛してるだの言えるこの口が憎い。
抱きしめてくるこの腕が憎い。本当はそんなこと思ってもいないくせに、罪悪感を感じることもなく淡々と同じ言葉を繰り返す。
もう聞きたくない、と耳をふさいでもソレをまた封じられる。
嘘だと小さく呟けば、表情の良く見えない顔を少し横に傾けて嘘じゃないと返す。
「お前は嘘ばっかりだ」
「ばっかりということはないですよ、嘘も吐きますけど」
こうやって、ただ機械的に吐き出す言葉もすぐそこにある体温も不快なだけ。だって全部嘘だから。
「アタシが貴方を好きなのは嘘じゃないですからね」
「信用できない」
「それは困った」
からかうように言われても、何も感じなかった。
こんなの予想範囲内、分かってる。分かってる、こんな言葉じゃ傷つかない。
大丈夫、はじめから諦めていれば翻弄されることもない。
「ねえ、黒崎さん。貴方の望むことならなんだってしますよ」
「アンタには何も望んでないよ」
絡ませた腕にそっと爪を立てた。
ゆっくりと呼吸を吐いて、日に焼けた畳に目をやった。気を紛らわせるかのように。
風で窓がカタカタと小さく揺れて、耳に心地よかった。交わす言葉なんかよりも、ずっと。
後ろから抱き込まれているから表情は見えない、けれど俺が言葉を発したあとに浦原が笑った気がした。
「嘘つき」
ゾワリと鳥肌立つような、低く甘い声で囁く。
「言って欲しいんでしょう?」
「・・・・・・」
無音、声以外の音が世界から消えた気がした。
五感全てが麻痺してしまったかのような奇妙な感覚。
抱きしめてくる腕に力が篭った、軋むような強い力で。
それと同時に強く強く、爪を立てた。
「ダイキライ」
プールの奥底に沈んだ時と同じ、耳が変になる。
気圧の変化、そんなチャチなものじゃなくてもっと重苦しい。
肺が潰れそうだ。
だいきらい、だいきらい。
冷え切った声音で、ダイキライ。
ほら、これが本当の事なんだろう?
大丈夫、こんなの予想範囲内。
「しってるよ、そんなこと」
強く爪を立てる。
彼の腕にではなく、自分の手のひらに。
血が滲むほど強く、皮膚が裂けるほど強く。
その手を、そっと掴まれた。
首だけを少し動かして後ろを向くと目が合った。
「ごめんなさい」
「・・・・・な、にが?」
なんで、そんな顔をしてるんだ?
嫌いでいいのに、それでいいのに。
なんでそんな泣きそうな顔をしているの?
「嘘だよ、愛してる。誰よりも」
ほら、そうやってまた嘘をつく。
分かってるよ、そんなこと。
わかってるよ。
自分の腕が、声が震えてるのも。
なみだが流れていることに気がついたのは、細く長い指でそっと拭われたあとだったけれど。