my fingertip laments your absence...












時刻は日付の変わる少し前,一護は浦原商店の帳場に腰かけて靴を履いていた。
その背後には浦原がガラス戸に寄りかかるように立っている。



「海へは,二泊三日の予定って云ってましたっけ?」
「ああ。明日…もうほとんど今日だけど,4時に起きて出るっつってた」
「愉しんできてくださいねン」
「や,遊子たちの面倒見なきゃなんねーし,オヤジはうるせーし,実は気が重てえんだよな」



素足に履いたスニーカのつま先で,とん,と床を叩いて馴染ませながら一護は眉間に皺を寄せる。



「じゃあな」



浦原の視線を捉えた後で,不器用に笑って見せて振り返ることなく店を出た。
それが4日前のこと-------------。










「お邪魔しまっす」



からからから,と音を立てて開く引き戸を潜りながら,一護は帳場に座るテッサイに声をかけた。
テッサイは指を舐め舐め帳簿のページを捲る手をひた,と止めると顔をあげ,表情の読み取れない顔で破顔した。



「これはこれは黒崎殿。すっかり日焼けされましたな。海はいかがでしたか?」
「もう,暑いのなんのって。海入ったり花火したり,そこそこは楽しんだけど,もう一度行くかって云われたらちょっと遠慮」
「それは…そうでしょうなあ。あ,私としたことがどんな無駄口を。店長はですね…」
「出かけてるのか?」
「ええ,一昨日入った仕事がちょっと難航しているらしく昨日一旦お戻りになられたのですがまた今朝方早く」
「そっか…。じゃ,仕方ねえな」
「黒崎殿のご依頼のものは揃えて店長の部屋にご用意してあるとのことでした」
「俺が…依頼?」
「はい」
「…なんだろ。あ,じゃあちょっと寄らせてもらっていい?」
「どうぞどうぞ。何か冷たいものでもご用意いたしましょうか」
「いや,いいよ。つーかこれ渡しに来ただけなんだ。土産」
「これは…干物,ですかな?」
「ん。なんか特産だっていうからあれこれ選んでみたんだけど,みんな食えるかな」
「ありがとうございます。店長が戻りましたら揃って頂きますので」
「や,いつも本当に世話になってるし…。じゃ,俺ちょっと浦原の部屋,寄らせてもらいます」



深々と頭を下げられるのが居心地悪くて,テッサイの前から逃げるように商店の奥へ上がった。
黒光りするほど磨き上げられた板張りの廊下を突き当りまで進むとその右手が浦原の部屋だった。



「お邪魔します…」



主がいないとわかっていても,いや,だからか,一護は口の中でもごもごと云いながらそっとドアを開けた。
がらんとした部屋。
縁側に続く障子戸もぴたりと閉められていて,どこか薄暗い。
浦原の留守を改めて知らしめるようにきちんと片付けられた文机の上に何か載っているのを見つけて,一護はするりと戸を潜った。



文机の上にあったのはやわらかな和紙をきゅっと捻った包みが一つと,一護への浦原からの置手紙だった。
包みを開くと,色とりどりのまるでびい玉みたいな飴玉があった。
青地に緑の線の入ったのを口に放り,一護は手紙を手に取りながら文机の前に腰を下ろした。




一護さんへ


海はいかがでしたか?
アタシは厄介な仕事が入ったので二,三日留守にします。
ほんとは一護さんの顔見てから出かけたかったんですけどね。
まったく。
あ,包みはお土産です。
毎日嫌になるほどの暑さに,せめて目だけでも涼しいものを。


浦原



細い筆で流れるように書かれた文字を幾度も目で追いながら一護は口の中で飴玉を転がす。
市販されているのによくあるべたっとした甘さではなく,口の中でするすると解けていくような柔らかな甘み。
そして鼻をくすぐる微かな匂い。



「んまい」



口に出して感想を述べても,答える返事はなくて。
一護は飴玉を包んだ和紙をきゅっと捻ってシャツのポケットにしまうと,手紙を手にごろりと横になった。



「二,三日ね…」



別にいんだけど。
口に出していいながらも,胸の奥が,すん,となるような寂しさは拭いようがない。
一護は腕をまっすぐ伸ばし,「んー」と伸びをした。



「つまんね…」



ごろりと寝返りを打つ。
畳にだらりと伸ばした腕の内側を辿るように視線を延ばすとその先によく見知ったものが映った。



「帽子だ」



一護は四つ這いになると押入れの前に落ちていたそれを拾いに向かった。
手に取り,左手に被せ,くるくると回してみる。
裏返して,また元に戻して,両手で持つとそっと鼻を近づけた。
浦原の匂いがする。
煙草の混じった,浦原の髪の匂い。
一護はぎゅ,と目を閉じしばし動きを止めた後,徐に立ち上がるとそれを手に文机の前に戻った。
そしてくしゃりとした皺を伸ばすように形を整え,文机の上にそっと置いた。


それから畳の上に放り出していた手紙を丁寧に四つ折りにすると飴玉を入れたのと逆のシャツのポケットに収め,部屋を出るべく踵を返した。


引き戸の取っ手に手をかけ,身体ひとつ分開くように力を加える。
何か,後ろ髪が引かれるような心地がして振り返った。
視線の先には,帽子。


一護はきゅっと唇を噛み締め,ほんの一瞬逡巡すると,踏み出しかけた足を引っ込め,部屋に舞い戻った。










「じゃ,テッサイさん,俺もう帰るんで」



幾分顔を赤らめて早足で廊下をやってきた一護にテッサイは台所から顔を出しながら「今お茶の支度を」と声をかけた。


「悪い,家でしなきゃなんねーこと思い出したから」
「そうですか」
「また近々寄らせてもらいます。お邪魔しました!」



まるで逃げるように一護は商店を出た。
実際店を出てしばらく行くと,ほんの僅かながら不自然に膨らんだジーンズのウエスト部分を気にしながら家に向かって走り出したのだった。















それから五日後。
浦原はすっかり草臥れたスーツ姿で部屋に姿を現し,ジャケットを脱いで放り,ネクタイを乱暴に緩めた。
そして浦原が脱ぎ散らかす端から拾い,腕にかけていくテッサイに声をかける。


「テッサーイ,黒崎サン来た?」
「ええ,海からお戻りになられた翌日に,お土産を持っていらっしゃいました」
「お土産?」
「干物をたくさん頂きました。かますにアジに,金目鯛なども」
「随分と渋い趣味っスねぇ」
「どれもよい品ばかりでしたよ。明日の朝食に早速お出ししますので」
「そ。ならいいンだ。アタシはひとっ風呂浴びてくるから,この始末だけよろしく」



浦原はベルトを緩めシャツを引きだしながら部屋を出かけて,気を惹かれて振り返った。



「あ,テッサイ」
「なんでしょう」
「アタシがいない間,ここ,掃除した?」
「いいえ,いつもどおり店長がいらっしゃらない間は誰もこちらへは入っておりません」
「そ。それならいいんだ」



ふうーん,と気のない返事をすると浦原は凝った肩をほぐすようにぐりぐりと回しながら浴室に向かった。










「お邪魔シマス」



吐息ほどの声で来訪の挨拶を述べ,浦原はそっと一護の部屋の窓を開けた。
のんびり風呂に浸かっていたせいで時刻は三時を大きく回り,壁際に設えられたベッドには規則正しい寝息を立てる一護がいる。
下駄を脱いで懐にしまい,抜き足差し足でそこに近づくと,上からそっと覗き込むようにして一護の寝顔を眺めた。


窓に背中を向けるようにして眠る一護。
顔のすぐ傍に置かれた手がきゅっと握り締めているのは------------浦原の帽子。
幾分くしゃくしゃになっているそれに鼻を埋めるようにして眠る一護を見て,浦原は思わず口元を押さえると一歩後ろに後ずさった。



「ありえない…,一護サンたら」



くくくくく。
堪えられずに忍び笑いを漏らす。
笑いの発作が治まると浦原は,その枕元にそっと腰を下ろした。
寝癖のついた髪に指をくぐらせ,撫でるように梳く。
普段はきつく皺の寄った眉間もすっかりほどけて年齢相応のあどけなさを見せる寝顔に,ふっくりと笑みが零れる。



「その帽子はアタシの代わりっスか? そんなに寂しかった?」



低めた声でそう囁いても一護はなんの反応も返さない。
心地よさげに閉じられた瞼と,規則正しく上下する胸をじっと見つめた後,浦原はすっと立ち上がると羽織を脱いだ。
そして懐から下駄を出し,脱いだ羽織でくるりと包むと足元の邪魔にならないところに置き,今度はベッドに膝を付き,伸び上がるようにして一護が握り締めた帽子をそっとはずす。
それを羽織同様足元に放ると,一護の背に寄り添うようにベッドの空いた場所に身体をもぐりこませた。
左手は肘を立てて枕に,右手は一護の腰に回して。
絡めた足から,触れた胸から一護の温もりがじんわりと伝わってくる。


一護のむき出しになったうなじに音を立てて口付けを落とすと,小さく小さく囁いた。



「ただいま帰りました。そして,オヤスミナサイ」



一護の身体を抱きこむようにぴたりと寄り添い目を閉じる。
鼻を擽る一護の匂いに,身体の緊張がするすると解けていくような心地がした。


久しぶりにゆっくり眠れそうっスね。
浦原は目を閉じると,ゆっくり呼吸を一護に合わせた。

















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Flying colors の西條葎さん宅にて、3万HITフリーの小説になっていたので強奪してきました。
くださいっ!と鼻息も荒くお願いしたところ快くいいですよ〜といってくれるあなたが愛しい・・・v