朝霧のかかる緑滴る森のような、純粋で清涼な空気。
綺麗すぎるそれは最早毒であると、心の隅でそう思った。








今だって、手を伸ばせば届く距離にいる。

手を伸ばせば、声をかけたらきっとこちらを向いてくれるだろう。
不機嫌そうな顔で、そっけなく。
けれどそんな些細なことでさえ自分にとっては何よりも至上のもの。
一挙一動、呼吸の間隔にさえ敏感に反応しては我に返って浮かんでくる笑みを噛殺すのに必死。
なんて、こんな事を本人に知られたらきっと近づきもしないだろう。


軽く、音もないほどそっと息を吐くと浦原は目を伏せる。
廊下をせわしなく行ったり来たりする足音はもう耳に馴染んでしまった。
時折大きな音と共に聞こえてくる一方的な怒鳴り声も、浦原にとっては何でもないことだったが、一護はその度に首をそちらに向けては心配そうにしている。
見た目ほど中身が幼くはないということは何となく分かっているはずなのに、それでもやはり気にせずにはいられないのだろう。
指先でテーブルをコツコツと叩いては視線を向けたまま座り込む。
声が止めばソレも止まるのだけれど、十分を過ぎると一護は無言で立ち上がって仲裁に走る。
テッサイが居ない時は代わりになるが、それは仲裁というか遊び相手になるということで浦原としてはなんだか気に入らない。
本人の自覚があるかどうかは別として、一護は相当な意地っ張りで一度決めたことは意地でも通す正確だ。
同じく我の強いジン太と口喧嘩になると言い合いというか、じゃれあいに発展してしばらくそうして雨と三人で遊んでいる。
ここのところ毎日そんな日が続いて、一人居間ですることもなく取り残された浦原はする必要もない狸寝入りを決め込んでいる。
時折聞こえてくる話し声の中に一護の声で自分を呼ぶ声が聞こえると、全身がザワザワして妙に落ち着かなってそれも上手く出来なくなるのだけれど。




「アイツまた寝てんの?」


何かというと代名詞ばっかりで名字でだって中々呼んでくれないのは、本気で寂しいと思う。
けれど話題に上っているのが自分だと思えばそれも忘れられるほどに満ち足りるのだから、なんとも安っぽいものだ。



「じゃねえの?」


「質問に疑問系で返すなっつの・・・」


「知らねーよ、自分で確かめて来い」


「あー、もういいって」



さしたる意味ももたない些細な会話だ、間を埋めるだけの。
本当にただ聞いてみたかっただけなのだろう、一護はガリガリと頭を書くと誤魔化すようにまた別の話を振った。


閉じた瞼の奥、明るい闇の中で浦原はただ思想にふける。
なんとも怠惰なコト、あくまでも受動的な行動は身に染み付いて直そうにも今更過ぎる。

もっと気にすればいい、聞きたいのなら直接聞けばいい。
自分はこんなに頭の中がキミのことで一杯なのに。
声が聞きたい、話がしたい。

でも、本当にそうしたいなら自分から話し掛けたら済むことだ。
自分から行動を起こしたくない、ただそれだけの理由。
望む一番の形は、きっと叶わない。







(・・・・・好きになってくれないかなァ)













好きになってくれないだろうかと、他力本願な事ばかりを思っている。
顔を見るたび、声を聞くたび、どんな時でも、まさに四六時中。
自分が言うのはなんだかいけない気がした。
それは言ってはいけない気がした。
これは罪だ、これに触れてはいけない。
触れた瞬間に侵食されて先から腐食していく。
甘い毒がじわじわと、身を焦がすように広がる。

自分には綺麗すぎて、とても手を伸ばせない。








「あ、黒崎さん・・・もうすぐ7時・・・・」


弱々しい雨の声が会話にそっと割り込んだ。
時計の針はここから一護の自宅までかかる時間ギリギリを指している。


「もうそんな時間か・・・最近日が延びたからな」


まだ外は少し明るくて、うっすらと橙色に色づいた空との境界線が淡くひかっている。


「ん、じゃ俺帰るわ」


「おう、また明日な」


「また明日・・・・・・」



別れの挨拶は明日という明確な時間を指す、大した用事もないのに毎日寄ってくれるのは何のためなのだろう。
一護はあっさりとジン太とウルルに別れを告げる。

一護が帰るのなら、こんな無駄なことをしていても仕方がないと浦原はわざとらしく大きな欠伸をして立ち上がった。
トン、と軽快な音を立ててひらく障子戸の向こう側から夕焼け空よりも濃い橙が覗く。


「おや、帰っちゃうんですか?」

少し斜めにずれてしまった帽子を直しながら、浦原は一護と視線を合わせた。


「お前なあ・・・寝てる間にも時間は過ぎるんだぞ。もう夕方、外見てみろよ」


「あらま」


残念、とは口に出さず。
また今日も特に変わりない一日だった。
会えるだけでいいなんてそんな生易しい感情は持ち合わせていないから、いずれ我慢が効かなくなるだろうけれど。
やはり踏み出せないのは、自分の弱さか。


「ったく・・・・・またな、明日はルキア連れてくるから」


「ハァ・・・」


正直に言っちゃうとそんなことどうだっていいけど。
曖昧な返事で誤魔化すのは得意だ。



「じゃな」


今日聞いた最後の言葉はいつも通り短い。

店先まで見送って、だんだんと小さくなっていく背中を見ていた。




ああ、今日も憎すぎるくらいにいつも通りの日常が過ぎていく。
ああ、今日も幸せすぎるくらいに自分は何も変わらない。
変えたいのに、変えないのは。

拒絶されるのが怖いからか。





今日も、空が綺麗だ。
































END