おやゆびひめ 序章



誰も彼も、現実に生き急いで足元の花など見ようとはしないのだ。

血のような赤い花が、のろわれたものだと誰が言ったの?
それが邪悪だと、そんなことを本当に思っているの?

季節外れに咲く、しかも純潔の白ではない。
鮮やかな、赤色のセレニア。
人気のない山岳地帯にひっそりと咲くといわれているそれは不吉の象徴だという。
曰く、その色は人の血。
人の死体の上に咲くのだと、なんとはなしに伝えられている話だ。
真偽のほどは誰も知らない。
けれど、だれもが知るその昔話。


『おやゆびひめ』


(物語の中の住民にしろ、こんなに無邪気な生き物だとは思わなかった)

物語の中の小さな姫は、自分勝手な都合で、自分だけの幸せを望んだ無垢ゆえの咎人。
無知と無垢の違いを謳った、そんな物語の住人が本当にこんなにも純粋な生き物だと知っていたら赤いセレニアをもう少し好きになれていたかもしれないのに。
あまりにも世界を知らないおやゆびひめ。
なにもしらないおやゆびひめ。

言葉も知らないこの小さな生き物は、朝露のかけらをかぶって小さく笑っていた。
その色は、血ではなく、まるで朝焼けの赤だった。