放課後の保健室といえば、不登校児や部活の無いものの憩い・・・もとい暇つぶしの場としてにぎわっていそうなものだが、この学校ではそういったことは全く無い。
それもこれも保険医のジェイドという男が曲者で、サボリのために保健室を使おうものなら強烈な嫌味攻撃と謎の薬入りハーブティーを振舞うという腕力要らずの脅しで追い払ってしまうからだ。
保健室を完全に自分のテリトリーとするジェイドは、その空間に人が入るのがあまり好きでないようだった。
『保健室』としての定義を覆す彼の存在が許容されるのは、理事長と幼馴染だとの噂もあるがそれが真実かどうか確かめるための度胸は生徒たちには無かった。
私立深遠学園高等部において、保健室がその正しい用途として使われる機会は滅多に無い。
生徒のほうが自ら使うまいとして自己管理を徹底し、自分で何とかできる程度の怪我や少々の具合の悪さは教室に備え付けの薬箱で治療することになっているからだ。
保険室なんかにいったら保険医に薬の実験台にされる、傷口に塩をすりこまれる、保健室に一人で行くと帰って来れなくなる、などなどの噂は学園の怪談の数より多い。
悪いイメージが一人歩きしているのは確かだが、噂の全てが嘘というわけでもないので仕方ない。
しかし学園内の魔界、そうあだ名される保健室に頻繁に出入りしているただ一人の例外がいた。
「しっつれーしまーす」
言い終わる前にガラガラとドアを開けたのは夕焼け色の髪の小柄な少女だった。
指定の制服を見事に着くずし、短いスカートの下にジャージをはいた姿で彼女は暖房の効いた保健室へと飛び込んできた。
私立だけあって可愛らしい制服は闇取引で時価ン十万をくだらないという代物なのに、全く台無しである。
校則が緩いといっても、指定のリボンは取り外されてシャツもボタンが二つ開いている、スカートの丈も股下数センチ+ジャージ。
教員に見つかろうものなら指導室送りにされかねない。
「う゛〜、!さむっ、さむ!!」
冬の廊下の殺人的な寒さに口から出る言葉が限定されるのは何故だろうか。
ルークは使い捨てカイロをしゃかしゃかと振りながら保健室のドアの前でうずくまった。
「ルーク、ドアはちゃんと閉めなさい」
「わかってる!、あ〜・・・ここはホントに暖かいよな・・・」
「まあ、元々ヒーターが置いてありますしねぇ。暖房機器の点検はあと一週間で済むそうですから、それまでの我慢ですよ」
学園内は全教室完全冷暖房完備、全国でも指折りのハイレベル学校だが一週間ほど前から数年に一度の暖房機器の点検が始まっていた。
身を切るような冬の寒さにさらされた生徒たちは、そんな中でも暖房器具のある数少ない教室へと逃げ込む機会が多くなった。
まず各教科の準備室、職員室、そして保健室。
一番最後はルーク以外にはありえない選択肢ではあるのだが。
「ホンっ〜〜〜、っと最悪!俺寒いのだいっきらい!!」
ボスン、と真っ白な枕へとダイブしたルークはベッドの上を転がっている。
保健室のベッドはふかふかして気持ちがいいのでルークのお気に入りの場所と化している。
日当たりのいい窓際のベッドはルーク専用、といつのまにか決まっていた。
「制服、皺になりますよ。こちらにいらっしゃい」
ジェイドのデスクの前にはヒーターがあって、特に暖かい。
笑顔で手招きされたルークが拒む理由も無い。
上履きを引っ掛け、とてとてと駆け寄った。
それは、いいのだが。
「暖かいのはいいけどさ、イスないんだけど」
この部屋に唯一あるイスは、今現在ジェイドが使っていた。
ルークはヒーターに手をかざしながら脱げかけの上履きを踏みつけている。
「ですから、『ここ』にいらっしゃいと言っているんです」
ルークに視線をやりながら、自分のひざをポンポンと叩いたジェイドはにっこりと笑う。
膝の上に招きいれられていることを知って、ルークは小さくため息を吐いた。
「・・・・・セクハラ保険医」
ルークはそう呟いたが、結局は自分からジェイドの膝に収まっている。
人肌が温かいから、とは言い訳にならないだろうに唇を尖らせて言う姿は可愛らしい。
「なんとでも」
「ばーか」
2年A組、ルーク・フォン・ファブレ。
保健室に来ても追い払われるどころか歓迎される唯一歓迎される彼女は、保険医と付き合っているともっぱらの噂である。
ただ、学園内でその話題を口にしようものならば・・・・明日の朝日は拝めないことだろう。
ここは彼女のための・・・・・・専用保健室。