からからに乾いた夏の空。
ケセドニアのように生命を奪いつくすような強烈な太陽とはまた違い、この空にはいっぺんの不快さも感じられない。
青の絨毯に広がる雲をぼんやりとながめた。
俺には何かを観察する以外、他にどんな時間のつぶし方も存在しないのだから。
光を受けて輝く水滴がまるでいつかワイヨン鏡窟で見た鉱石のようだと思う。
きらきらひかる、きれいなみず。
この国の象徴ともいえる、変幻自在の水はこの暑さを和らげる働きを持っているのだろう。
白を基調として作られた精巧な調度の噴水の周りにはいつも人が絶えなかった。
他愛のないおしゃべりをする買い物帰りの主婦、一緒につれられてきた子供たち。
待ち合わせの場所としても使われるこの場所で、いったい何組の恋人たちをみてきただろう。
いつだって遅れるのは男のほうで、彼女は不機嫌気味。
どうせご機嫌取りをしなければならないのに、なにゆえいつも決まって遅刻してくるのか。
つい、と視線を回りにめぐらせて今日もグランコクマは平和だと安堵のため息をついた。
ああだって、彼が待ち合わせに遅刻してくるのは今月すでに4回目で怒る彼女をなだめるその目はいつもと同じように穏やかだ。
小さな幸せをこんなふうにかみ締められる、何気ないことで笑える、あたりまえすぎるほど。
嬉しいじゃないか、なぁ。
だって、俺の守った世界なんだから。
みんな笑っていてくれないと困るよ。
みんな幸せでいてくれないと、困るよ。
戦争もなくなって、少しずつではあるけれど過去からのしがらみも消えつつある。
形だけでない和平は世界をよい方向へと導いていっている。
俺は間違ってなんてなかった、後悔だってしてない。


なのになんで、アンタはそんな顔してるんだ。







Paradise lost


 






 この日差しも、しぶく水滴も俺の体を通り越しては消えていく。
すべてのものが俺を素通りして、俺は世界にただ一人取り残されたまま今日も朝を迎えた。
誰も俺を見ない、話しかけない。
俺を見てくれるヒトはいない、話しかけてもこの言葉が届くことはない。
「おはよーございまーす」
朝の散歩に通りかかった老齢の男性にそう話しかけてみるが、やはり何も帰ってこない。
分かっていたけれど、なんだか毎日続けているこの習慣はすべてをあきらめきれない自分のくだらない意地なのだ。
 俗に言う、『幽霊』ってやつなんだとおもう。多分。
自分の腕や足、視線の届く限りの範囲内で確認しなくても分かるほど俺の体は透けていた。
建物の壁を通り抜けることだってできる。
気を抜いて意識しないでいるとすべての物体をすり抜けて罰の悪い思いをすることになるということを学習したのはいつのことだったか。
確かな意思を持って触れれば、無機物は通り抜けずにすむ。(不思議なことに地面を通り抜けたことは一度もない、なぜかなんて俺に分かるはずもないけど)
けれど人間のような生物に触れることはできない、ただすり抜けるだけ。
五感のうちあるのは視覚、聴覚、触覚(無機物に関してのみ)。
味覚がなくなるのはなんだかつまらないような気がしたが、こんな体になってからは食事も睡眠も必要でなくなってしまったのでたいした問題ではない。
それも含めて、今まで持っていたものがなくなる感覚というのはなかなか言葉にし辛いもどかしさがある。
ただそんなもの、誰にも存在を認知されないという気が狂いそうなほどの寂しさに比べたらなんでもなかった。
流れていく時間はその感覚を徐々に殺していって、だんだんと麻痺していっているがだからといって平気なわけではない。



 あの日、エルドラントで消えたはずの意識が唐突に冷めたのはそれからおよそ一月たった後。
完全に世界にとけきって、消えたはずの俺の意識は急激に浮上した。
ばちん、とまるでスイッチが入ったかのように鮮明に、明かりのついた世界が視界に入る。
ザァァァァ、耳慣れたその音にはじかれた様にあたりを見渡せばけっして華美すぎず、けれど美しい建物の中に自分がいた。
ガラスを張った天窓から集まる光を受けて、より輝く『王座』
無論そこに座っているのは『王』以外の誰でもない。

もう、あれから一月がたつ。


陛下、ピオニー九世陛下。
ここはグランコクマなのか、なぜ俺はこんなところにいるのか、だって、俺は死んだのに!
ぐらぐらと感情がゆれるのが分かる。
王の側に控えているのは誰だった?


まだ、一月ですよ。


影を落としたような、静かな声だった。
けれど反射的に俺は飛び出した。


『ジェイド!!!』


思考は何もまとまっていない、事態も飲み込めていない、けれど体が勝手に動いた。
確かにこの足は動いて、床を蹴った。
駆け寄った、はずだった。
大声で、何度も何度も呼んだ。


どちらにせよ、もうルークが帰ってくることには、変わりはないんです、絶対に。


頭を鈍器で殴られた、くらいのダメージは負った。
絶対。
感情の読み取れない声は少しずつ言葉を切って、王座の主にそう告げた。
駆け出して腕を伸ばしたはずの俺はジェイドに届くことはなく、そのまますり抜けた。
なんで。
つかみ損ねたものを惜しむように、俺はゆっくりと手をみやる。
感覚的な恐怖を感じ取った腕は震えていた。
死んだはずの俺がなぜかここにいる、まるで奇跡のような、奇跡。
もういちど、会えた。
そうやって、一度天国に拾い上げたくせにどうして、地獄に突き落とすんだ。



「ルークは、死にました。」



震える手は自分でつかむことすらできなくて、そのときようやく自分の体が半ば空気に溶けていることを知る。
ジェイドの口から発せられた死の宣告は正しくて、いっぺんの間違いすらもない。
ああ、俺は死んだんだ。
すとんと胸に降りてきた事実を受け止めて、俺は気が触れてしまったのかもしれない。
どうしたらいい、どうしたら。
ふと、前髪に隠れているジェイドの瞳の色が思い出せない事に気がついて、俺は目の前がだんだん霞んでいくような気分に陥る。



「もう二度と、戻りません」



おれは、ここにいるよ。
ここに、いるよ。


触れることはできないけど、俺はあんたのそばに居る。
ジェイド、ジェイド、ジェイド。
呼ぶ声が届くことは、なかったけど。




俺は死んでもまだ、あんたが好きだ。