御霊の遠く、彼方



耳元を打つ声。
それは自分の名前を呼んでいた。
それはもう、イヤになるくらい、自分の名前なのに飽きるほど呼ばれて、思わず振り返る。
半ば意地のように、前ばかり見ていたのが嘘のようにあっさりと。
けれどそこには何もなくて、『誰もいなくて』?

ああ、誰がいるというのだろう。
誰が呼びかけるというのだろう。
ここには自分ひとりしかいないのに。

いっぺんの陰りもなく、ただ生ぬるいだけの温もりが足元から伝わる。
もう歩みを止めているのに、踏みしめる感覚があった。
ここは熱くもなく、寒くもなく。
感情は嬉しくもなく、辛くもなかった。
からっぽ、からっぽ、ぜんぶ。
けれど何か、胸のうちに吐き出したい言葉がある。
音のひとつずつは耳に残っているのに、すべてをつなげられない。

雪が降る。
ゆき。
雨が降る。
あめ。
鬱陶しいくらいに晴れて。
はれて。

自分の足元から下へと注ぐ光景を、見ていた。
目を開けていなくても、望めばそれは見ることができた。
気づけばいつも同じものを見ていた。
同じ人を見ていた。

あれはいったい、誰なんだろう。
俺は、何を言いたいのか。

何を伝えたら、この曖昧な体は消えるのだろうか。



音符帯を通して雪が降る。
地上へ注ぐそれはうんざりするほど見てきたが、グランコクマから見るのはずいぶんと久しぶりな気がした。
連日降り注ぐそれはけれど激しくはなく、静かだった。
あの日からどれくらいの月日が流れただろう。
いや、はたしてそんなことを本当に思っているはずもない。
正確すぎるくらいに働くこの頭は、その答えをあらかじめ備えている。
そうではなくて、ただ凡庸とした記憶に身を浸しながら思い出にすがりたいだけだ。
連日の雪、その間、まるで誰かに見られているような気配を感じる。
姿はいくら探せど無く、ただの気のせいだろう、と心の中でわざとつぶやく。
けれど先ほどのように頭ではそう思ってはいない。
それをそれと認識するための確かな証拠は何一つ無いのに、私はその視線に覚えがあるように感じた。


そうであればいいのに、と他人任せなことを思った。

ルーク。

口には出さず、名前を呼んだ。


女々しいと思っていても、どうしようもなく、忘れられない。
音素として世界に溶け込み、形も無くなったルークを、今でも覚えている。



この世界の些細な出来事に、彼を思う。