たとえば、なんて
冬の冷え切った空気が、のどに張り付いてキリキリと痛い。 しんしん、といった静かで美しい音など不似合いなほど、視界が白く染まるほどに雪が空から注いでいる。 この国の、この町で生まれ育ったとはいえ、だからこそ、雪の情景に感慨など持たないし、いいものだと思わない。 それだというのに、ルークはこの寒さの中、ざくざくと雪を踏みしめ、踊るようにその結晶を追いかけていた。 もう日暮れまで時間もなく、その寒さといったらいよいよ感情任せの愚痴が飛び出しそうなほどだ。 「ルーク、そろそろ日暮れです」 言葉ひとつ吐き出すごとに、白い息が雪に紛れた。 「うん、知ってる」 雪の降りしきる空は灰色で、時間の感覚も曖昧になる。 それを知らずにいるかと思えば、知っていると、そう返す。 言葉すべてをいわないと分からないほどの馬鹿ではない、ならば。 「もう少しだけ、こうしてたい」 中途半端にボタンの閉められたコートが翻った。 ルークの髪と同じ色の、赤いマフラーがちらちらと目の奥で瞬いている。 白さに見え隠れして、鮮烈な色も今はどこか儚い。 「ジェイドは、嫌いなのか?」 雪のことなのだろう。ルークは両手を広げて振ってくる雪を受け止める。 「まぁ、どちらかといえばそうですね。好きでないことは確かですが」 害こそあれども、利などあったものではない。 この地に詳しいからこそ、そう答えた。 けれどルークは沈みこんだ表情で、右足でざくざくと雪を踏みしめた。 まるで子供の、そんな仕草に目を奪われた。 「嫌い?」 もう一度、同じように問われた。息を小さくついて、頷く。 するとルークがますます表情を暗くして、唇を振るわせた。 「風邪を引きます、ホテルに戻りましょう」 「やだ」 「ルーク」 駄々をこねる子供、これがルーク以外であるのなら勝手にしろと放っておいただろう。 けれどこうして駄々をこねているのは現にルークであるので、仕方なくコートに突っ込んでいた両手でルークの腕をつかんだ。 「やだ」 なぜそこまで頑ななのか、思わず声を張り上げそうになる。 けれどそれも、ルークの言葉に制される。 「嫌いだなんて、いわないで」 すがるような声が、耳に届いた。 なぜか、大して音もしないはずの雪にかき消されてしまいそうだと思った。 「お願いだから、嫌わないで」 それは、何に対する言葉であったのだろう。 こんな些細な事で揺さぶられるほどの、なにか。 「ルーク?」 つかんだ腕に、今度はルークが弱弱しく触れてくる。 わけもなく、哀しさが湧き上がって頭が痛い。 無意識に抱きしめて、ルークがちいさく震えていることに気づいた。 「たとえば、なんて、ジェイドはそんな事言うの、嫌いかもしれないけど」 途切れ途切れの言葉を、辛抱強く待った。 ルークの髪にほんの少し積もった雪が頬に当たって冷たい。 「俺が、死んで」 「っ、ルーク!!!」 急に押し寄せてくる闇に怒りを覚える。そんなくだらない考えは、形にするべきではない。 そんな、どうしようもない言葉を、聞いても、自分にはそれをどうにかするだけの力がなかった。 「聞いてよ、ジェイド」 震えているのに、言葉の芯がひどくはっきりしていて、その事実にわずかばかりの焦りを感じる。 「俺が死んで、音素が世界に解けて、ひとつになって。そうやって、音譜帯から降る雪を、ジェイドが、嫌いだって言う」 言っている事がめちゃくちゃだと思った。 何が言いたいのか、ほんのわずかでも分かったからこそ。 「形も何もかもなくなって、俺が唯一縋れるのは世界の音素と混じって、ジェイドと居られることなのに。そうなっても、ジェイドに嫌われたんじゃ、悲しくて」 どうにかなりそう、 「っ、!」 たまらなくなって、強引に口を塞いだ。 冷たい、ただそう感じた。 心まで冷え切って、凍り付いてしまいそうだった。 「ぁ、っ、う、う……」 ルークは泣いていた。 冷たくて、痛くて、消しようもない闇にただ怯えていた。 それを振り払うこともできない自分が、ただ憎い。 「見るな」 涙を流して、雪を見つめるルークの目を手で覆い隠した。 「そんなことばかり思うのなら、こんなものを見なければいい、っ…!」 たとえ世界がどんなに暗くとも、そこに暗澹としたものしかないのなら。 こんな白など消してしまいたい。 「ジェイド、ジェイド、俺は今、ちゃんとあんたの傍に居るのか?触れていられる?」 怖いよ どうしようもないくらい、ただ、怖い 幾重にも流れる涙を見ていられなくて。 その存在を確かめたくて、痛いくらいに抱きしめた。 嫌いな雪の降る、この町。 いつか、雪が好きになる日が来るだろうか。 何よりも大切だと思ったものが、形を変えてそそいでも、それを受け入れられる日が来るだろうか。 その日が遠ければいいと、切に願った。 雪の、日。 |